【WORD】地元かあちゃんガイド

最終更新: 2018年7月7日

芸術祭をめぐる言葉2



佐藤:ご自身と芸術祭の関わりについて、聞かせてもらって良いですか?


芸術祭の関わりって言いますのは、2000年(第1回開催年)は、まだ私は仕事をしていまして、花屋に勤めていたんです。花屋って、都会に出ていった人が、母の日に田舎に花を贈るとか、冠婚葬祭なんかに結構・・中山間地の配達がすごく多いんですね。私は小千谷(小千谷市:十日町に隣接。芸術祭のエリア外)の出身で、嫁いでここに来たんです。それで・・この信濃川沿いの景色ですね、雨がふろうが、お天気であろうが、雪がふろうが、春だろうが、秋であろうが・・もう本当にいつも綺麗で・・配達をしていると、もうますますその美しさに惹かれて・・ここの地域がすごく大好きだったんですね。そんな時に芸術祭というのが今度行われるっていうことになって、それですごい地元は猛反対だったんです。 十日町市全体が、もう猛反対で・・


佐藤:そんな中で、ご自身はどうだったんですか?


私個人的には、別にアートのことが分かるわけではないんですけど、東京にいるときは美術館に行ったりとか、そういうことはしていたんですね。で、実家の手伝いのために帰ってきて、また十日町に嫁いできて、まぁほとんどアートに接する機会なんてことないんだろうなぁと、特にあまり考えもせずいたんですけど、そこに大地の芸術祭があるって言うことで、すごい!すごいと思ったんです。ここにいて、アートに触れられるんだっていうのが、私的にはすごい感動だったんですね。嬉しかったんですね。


で、2000年・・まぁ地元は猛反対、大騒ぎ・・・もう壮絶だったわけですよ・・・地元の人の中には「私はアートを見に行かない」とか 、芸術祭のことは口にも出せない・・・みんながものすごく反対で・・・凄かったですね・・「あんなのは、北川フラムが全部税金を持っていくだけなんだ」とか、「もしそんなのに税金をかけるのであったら、もっと道路良くするとか、介護者を受け入れるベッドを増やせ」とか、もうほんとに十日町の地方紙も、毎回そのバッシングが凄かったんです・・・なので私が2000年に作品を見に行く時は、黙って一人でこっそり見てて(笑)・・・この中心市街地で見に回ってる人はまずいなかったと思います。この頃は・・


佐藤:そういう状況だったんですね・・・それはもう1年目の会期が終わってもやっぱり・・


そうですね。2003年(第2回開催年)もそうでした。その2回目の時に、この中心市街地に作品が入ったんですよ。アーケードの上にのぼりを立てたり、 方言をのぼりに立てるとか、そういうのはありましたね。あと「銀河」(「**Reboot Project GINGA (2003) White Base」(平野治郎+斎藤精一)って言って、震災の後だった2006年(第3回開催年)なんですけども、ホワーンとした風船を持って、商店街を暗くして、みんなで浴衣を着て歩くとか、長~いリムジン屋台(「ホワイト・リムジン・屋台」 (2003) 筑波大学貝島研究室+アトリエワン)を作るとか、そういうぽつんぽつんとはあったんですね。でも、中心市街地の人たちは、もう本当にみんなすごい反対だったんです。何があろうが、苦情は山のように言うけど、協力は一切しないっていう感じでしたね。なので2006年の後、その次2009年(第4回開催年)かな。私の娘もこへび隊でして、2人で芸術祭のチラシを持って、全部商店街を理解してほしいということで周ったりしたことがありました。 何をしてもダメでした。


あまりこう、芸術祭が商店街の人達のメリットには、なっていないというのは、今でもそうですけど・・それは確かにありますね。そこらをね、どういうふうにするのが、まあきっかけとして前回2015年(第6回開催年)・・市街地の取り組み(「十日町市街地プロジェクト」)ですごくこの街の中が良かったんですね。「目」のコインランドリーの作品(「憶測の成立」)がすごい人気だったり、深澤孝史さん(「越後妻有民俗泊物館」作者)が「いこて」(「十日町産業文化発信館 いこて」手塚貴晴+由比)で、ずっとそこに滞在をして・・その滞在をしているって言うのが、市街地ではあまり他にはないので、これがすごく良かったなと思いました。


あと、その関係でいろんなミュージシャンの方が一週間交代でいて、最後は地域の人たちの子供からご高齢の方まで巻き込んで、ずっとこうストリートを演奏して歩いて(「サウンドダイアログ」のライブの事)・・・あれもすごく良かったし・・でも、そういうことは市街地ではそれまではなかったので、この地域の人を巻き込んでっていうのは、前回の一番・・私としてはいい作品だったと思えるひとつでしたね。


佐藤:芸術祭関連の書籍を読んでいると、3回目、2006年ぐらいから大きく十日町全体の雰囲気が変わってきたと書いてあったりするんですが、市街地はやっぱりまだこの2015年までこないと・・


駄目だったんです。そうですね。全体として大きく変わったのは、中越地震が2004年にあって、その後の2006年。で、これが、周りの人たちがなんか越後妻有すごいことやってるよって言うのを聞いた街の人が、少しずつ「あ、何かやってんだ。」っていう感じで、人を連れていってみたいな感じで、私も案内をしたりとかしましたけど、その前までは、そんなことは一切なかったですね。もう手伝うだけでも批判されたし、2006年もまだ手伝うだけで批判されました。


「ただ働きするな」とか、「北川フラムが全部お金をポッポに入れてんのに、そんなことするな」っていうのはすごい言われましたね。いっぱい言われました。でも別にその人に迷惑かけてるわけじゃないので(笑)。私が個人的にやってる訳なので・・そんなことは全然気にしないんですけれども・・・まぁそこらあたりから地域の人が、少しずつ芸術祭っていうのを意識始めたかなーっていう感じがしますね。


佐藤:2004年の中越地震というのが、きっかけとしては大きかったと・・・


そう思います。こへび隊の人とか、いろんなボランティアのに入って、地震の後の片付けのお手伝いをしたとか、そういうのが大きかったのかなぁと思いますね。これから2006年に向けて動き始めるぞっていう時に、地震だったので、それをボランティアの方に向けたって言う風に聞いてますけど・・・


*****


佐藤:ご自身はツアーガイドをやられてるじゃないですか、そこに関わっていった流れというのは?・・・・


芸術祭の1回目、2回目は、とにかく回るのに不便だっていう苦情がすごく多くって、その頃のアートフロントギャラリー(芸術祭を展開する会社)の担当の方が苦労されて、ツアーを本当に苦労して運行することになったのが、2006年。ツアーには、こへび隊のガイドが必ず一人着きますよっていう売り込みだったんで、そこで東京の代官山(アートフロントギャラリーの拠点)で、ボランティアが集まって、いろんな担当を決めたんですって。で、そこに、たまたまうちの娘がいて、私が芸術祭の話をよくしたりとかしていたので、娘も興味を持っていたし、自分の故郷のことを自分が何も知らないと思って、こへび募集に応募して行ったんですって。そしたら、何をしたいかみたいなことを、担当に別れてお話があったらしいの。で、全部覗いたら、ツアーバスのガイドのところがすごく人数が少なかったんですって。だから、ここは人がいないからやろうと思って、入ったんですって。それがきっかけなんです。


佐藤:そこからお母さんにお話が・・・


そうそう。私はガイドなんかするつもりは毛頭なかった・・さらさらないし、そんなバスで喋るなんて・・できるとも思っていなかったんですよ。だって、そこらの普通のばあちゃんだから(笑)・・・芸術祭の最初の頃は、1回目、2回目、ほとんどお客さんが来ていなかったんです。会期の最後頃になって、NHKの「新日曜美術館」っていう番組で放送されると、わあっと来る流れだったんですね。だけど、やっぱり中越地震があったりして、2006年はもうオープニングの日から、なんかバスがいっぱい出ることになったらしいです。1日目から。だけど、ほとんど全部東京から来る人がガイドする人になって・・もちろん東京でも募集してるから。それでたまたま、うちの娘の実家が十日町で、そのお母さんがその前からちょっとずつ前からお付き合いがあったので、人がとにかくいないから、ガイドをやってほしいと・・・


佐藤:それは娘さんからお願いが?・・


ではなくて、スタッフの方から頼まれて・・私、全部の道分かるんです。花屋で配達してたから。その前の芸術祭も回っているので、どこに何があるかほとんどわかる。なので、それぐらいは案内できるかなって・・・でも、作品として説明できる事なんて、全然勉強もしてないし、そんなんでいいんかなと思ったけど、とにかく人がいないから、そういう問題じゃなくて(笑)・・・ 人がいないんじゃ、大変じゃんとか思って・・・じゃあ最初の人がいない時だけの数日間なんだろうな・・と思ったのが、今に至っております(笑)


佐藤:(笑)それは、ガイドをやっていく中で、いいなと思ってゆくのか、それともやっぱり大変だから助けないとっていう・・・


両方(笑)。両方ですよ。東京の人達、本当に一生懸命勉強して、地域のこともちゃんとバスの中でお話をするんだけども、まぁ、やっぱり地元が話すのとは内容が多少は違ってきますね。で、最初の頃は、美術館にお勤めしてる方とか、ギャラリーにお勤めしている方とか、出版社の方とか、割とそういう美術系の方ばっかりだったんです。こんな普通のばあさんがたった一人だったので、すごい批判されますよ。「あんなアートが分からないのに、ガイドさせて・・・」みたいな・・言われましたよ。


佐藤:え?どなたから言われるんですか?


ガイド仲間から。ガイド担当だった人が、アートに長けてる人たちがほとんどだったわけ。何も知らないのは私だけ(笑)。「アート分かんないのが、ガイドなんてちょっとおかしいんじゃない」みたいなことを言われたけど・・でも、駄目だったら、私に頼まないだろうなって(笑)思ったから、依頼があるうちはまあやりましょうと・・60歳から始めたので、地元の60でっていう感じで、みんなに笑ってもらったり、拍手もらったりとか・・やっぱりこの・・何て言うかな、お客様が温かい(笑)。


あまり説明しなくていいって言う、フラムさんの言葉もあったんです。「アートのことは詳しく説明しちゃいけない」って・・割と美術系の人って、すごく細かく説明するのは、「それは駄目だ、しちゃいけない」ってフラムさんが言っていて、その点、私はできないので(笑)。その代わりほら、作家名だとか、コンセプトとかは、ガイドブックに書いているくらいは、私だって見ればわかるわけだから、それぐらいは話せると。あとはほとんど地元の話だから(笑)そういう・・・それです(笑 )


佐藤:やっぱりガイドのような、そういう役割に、ポ~ンと行けちゃうっていうのは、小千谷から、外から十日町に来られたっての大きいですかね?


そうですね。地元の人は、何かこう飛び出たことをすると、叩かれるって言うのが十日町の特徴で・・やはり他所者だと大丈夫なんです。叩かれても、自分が叩かれるだけだから・・・


佐藤:そこがご自身のルーツが違うから、ある意味、言い方がアレですが、面の皮厚くいけると・・・


(笑)そうそう。私が言われれば済むことだし、別に言われたからと言って、その人の世話になってるわけではないので、気にしなければいいわけであって、それでずっと来ました(笑)


佐藤:そんな姿を見て、周りの人が変わって行ったりというのはありますか?


それは大いにあります。2009年に私の娘と同い年の、飲食店のマスターが、ガイドをやってくれるようになった。私の弟子の第1号(笑)。今忙しくてやってないけど・・・彼すごく優しいし、若い男性だから、お客さんが結構女性が多いじゃないですか、駅にガイドのバスが着いて、ガイドを体験したお客さんが降りてくると、みんな嬉しそうなんですよ(笑)お客さんが(笑)・・楽しそうに皆さん降りてくるから、やっぱすごいなぁみたいな(笑)・・その人その人のカラーがあるので、みんな同じゃなくていいって言うのが、ガイドさんの魅力だと思うんですけども、私は「地元のばあさん」という、「アートなんてよくわかんないんだ」みたいなオーラをビューっと出して行ってるっていうもの(笑)、それはそれでいいかなと思いながら、やってるんですけども・・・ダメだったら、クビになってもいいやみたいな(笑)。


あと、企画ツアーの他に、現地からバスに乗ってくるっていうのが結構来るんですね。そうすると、運転士さんが道がわからないんです。そうすると地元の者が、「はい次右、次どこどことか、左とか・・」ガイドよりそっちの方が重要かなというぐらいな感じで・・・そういう要請がいっぱいあります(笑)。


佐藤:ガイドをもう10年以上やってこられていますが、その中で、培ってきたものと言うか、たくさんの現場に向き合って行く中で見えてきたものはありますか?


なんで続けてこられたかって言うと、やっぱりこの芸術祭のお客様が素晴らしい。これをやっぱりご案内していて、すごく感じて・・これを私は地元の人に伝えなきゃ・・と、すごい使命感に燃えて(笑)いるんです。やっぱりね、皆さんマナーがいいんですよ。とにかくマナーがいい。怒ったりしないし、熱心に見すぎて、ガイドしてると、あぁ、あの人はちょっと要注意みたいなのがだんだんわかってくる・・・バスの集合時間になっても、なかなか戻ってこないから・・・それは一生懸命だからでしょ。だから、ちょっと10分ぐらい前に、「あと何分で出発ですよ。」って言って回ったりとか、そういうやり方もだんだん私も習得してくるし、でもそういう人達ってすごい一生懸命だから、そうなるんであって、戻ってきてくださったら、もう本当に遅れても何しても、「お疲れ様でした。」っていう感じでお迎えをしてっていう、そういうのが、お客様と、1日一緒だから、コミュニケーションが取れる・・・取れてくるんですよ。本当に。お昼ぐらいになると顔も分かってくるし、いろんな人と歩きながら、お話をしたりすると、お客様も、本当に意識が高いと言うか(笑)・・いろんなお話を私も聞かせていただけるし、やっぱそこかな。ここにいたら、会えないような人と、そこで会える。接点があるって言うことが、一番の魅力だと思います。


佐藤:印象に残ってるお客さんとかいらっしゃいますか?


最初の頃、2003年は若いカップルで、もう結婚した方なんですけど、だいたいツアーバスに、もう1回じゃ済まない。2回ぐらい乗ると思うのね。そしたら今度は、自分がご夫婦で、親御さん、兄弟、お友達を連れてくる・・・それがね、1回や2回や3回じゃないんですよ。何回もあるの。芸術祭で何回も会うの。そのカップルの最初が、私の娘がガイドした時だったんですって。で、その人が、毎回毎回来て、仲良くなって・・・で、それもそこら中で会うんですよ。その後も。「あ!おかあさ~ん。」とか言いながら。もう、すごいの。お嫁さんのご両親連れて来たり、旦那さんのご両親連れて来たり、お友達を連れて来たり・・・だから、芸術祭の年は5回や6回は来てると思う。そういう人なんて・・ちょっと巡り会えないですよ。


本当にいろんな・・本当にいろんなことがあるから、これっていうのは難しいけど、まだ2006年の時に、私のバスに乗ってくださった方が、泊まるところが見つからなかったっていうのね。で、それをバスの中で言うわけですよ。そこで、一生懸命探したら、どこだったかが、とにかく見つかって、ここで泊まれますからって言って、じゃあここでって言って降ろしたの。そしたら、3年後。これが私の作品なんですっていって、すごい手作りのものをたくさん持ってきてくだすって・・で、それも駅の前で待ってて・・もし、ここで待ってたら、もしかしたら会えると思って来たんですよって・・・そんなことね・・・すごいよね。


後はまあ、ガイドの他には、「うぶすなの家」に私は関わっていて、そこでお料理を提供しているんですけども、やっぱりそこでいろんな方・・リピーターが多いです。おばちゃん達が方言で元気がよくて・・なので、そのおばちゃん達とおしゃべりをするのをすごく楽しみに、たくさんお客様が来てくださって、そこで出会える人も、本当にリピーターが多いこともあって、凄いですよ。海外からも来ますからね。●●とか、●●とか、●●とか(ここではお伝えできない各界の要人)・・・とにかくすごい人達が来てるんですよ。


佐藤:そんな方々も!・・紙面でお伝えできないのが残念です。


****


佐藤:後進の方々はどうですか?どんな風に関わっているんでしょうか・・


そうね・・前回2015年から、「地元サポーター」っていう組織がかなり活動し始めました。あと、ガイドもすごくいっぱい出てきました。地元ガイドが。で、高齢が大事なんです。特におじさんが。おじさんを発掘したいんですよ。退職してたってね、知識も豊富だし、それは宝物だから、引っ張り出そうって、一生懸命してるんですよ。2009年だったかな、東京のこへび隊の中に、年寄りがいるんですよ。その人たちが、こへび隊が大変だから、自分達がサポートするグループを作ろうっていうので、代官山と農舞台でテレビ会議をして、それで「プラチナ倶楽部」っていうの作ったの。プラチナだよ。金じゃないよ、白金、金のまた上だから(笑)。それで、フラムさんは、また私みたいなうるさい年寄りが、何か企んでるなっていう雰囲気だったんですけども・・・今はちゃんと認められて、こへび送迎をしたりとか、長くボランティアしてくれた子を、作品を見せて連れて回るとか、そこで何か足りないとか、何とか・・そういうの・・パシリよね(笑)。年寄りがやってんです。それで地元の、リタイアした人を、とにかく探そうということで・・


でも、難しい。男の人は確かに難しい・・・でもね、1回ね、いやいやでも頼まれたら断れないしっていうので参加したら、今度はもう楽しくて(笑)。若い子を、ほら車に乗せてドライブができるわけだ(笑)。そういう人もいますよ(笑)。少しずつ増えてます。結構いますよ。で、前はこへび送迎、作品の所へ案内するのはこへび隊がやってたの。でも、ものすごく事故が多くって、車もよっぽど壊したんだって。で、その地元サポーターの年寄りが送迎するようになったら、事故が無くなったの。それで、フラムさんがすごく喜んで・・ちょっと、認めてくれたみたいです。まぁ、そういうことでね、少しずつプラチナも増えてまして(笑)・・まぁ、でもなかなか大変なんです・・・


佐藤:だいぶ大きく変化があるんですね。


変化すごくありますね。地元サポーターっていうのは、大きな力になりましたね。


佐藤:では、最後に今後の事を考えて、今までの経験から、あえて言うことがあるとすれば・・・


これは税金を使ってやっていることなので・・その最初のきっかけは。それならば、一生懸命市民がやっぱり応援しなくちゃいけないっていう、その気持ちから私はスタートしてるわけですよ。もったいないじゃないですか。盛り上げなかったら・・で、これからは、まぁどうなっていくかは、私たちには全くわからないけれども、やっぱりその気持ちを、できるだけ多くの市民に持っていただけたら、嬉しいなと思います。それにはどうしたらいいかっていうことは、やっぱりこう常に私たちが、いろんなことをぶつかる人、ぶつかる人に、芸術祭ってこうなんだよとか、こういうたくさんの人が支援してくださってんだよっていうのは、今はもう極力みなさんにお話をしています。オフィシャルサポーターの人達の話ですとか・・だけど、なかなか伝わらないんですけどもね・・でも、やっぱり言わなきゃもっとわかんないので、芸術祭批判の人は、本当に少なくなりました。最初、もうそんな手伝いするなとか言って、すごい私を怒った人も、今は芸術祭を回ってます(笑)。


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2018年3月30日 十日町市市民交流センター「分じろう」にて