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【番外編】「竹所古民家村」住民

芸術祭をめぐる言葉「番外編」


今回の企画の中で、「竹所(たけところ)」という集落に出会いました。この集落では、25年前にドイツ人建築家のカール・ベンクスさんが移住してきたことをきっかけに、彼の建てる古民家を改装した家が増えていきました。その数は今では8軒になり、家を見学に来る人や、家を購入し移住してくる人も増えました。集落のあり方を、外からも、内からも変化させていったこの動きに、非常に興味を惹かれたので、芸術祭と直接関わりがある内容ではありませんが、カフェイエローハウスにも関わる住民のCさんに「番外編」としてインタビューを行いました。


 



佐藤:お生まれも竹所(たけところ)で、それからずっとこちらだったんですか?


そうです。はい。


佐藤:元々されてたお仕事っていうのは・・


私、自分で商売してたもんで、それをちょうど11年前にやめて ・・・その後すぐにカール・ベンクスのアソシエイトに入って・・


佐藤:25年前の1993年に、カールさんがこの竹所に入られたって伺ったんですが、その時に、Cさん自身とカールさんの接触みたいなのって、どんな出会いだったんですかね。


あの出会いっていうかね、その頃私たちの世代は、まだ一応この村じゃ若者の方なんで、村の行政とかなんかには全然タッチしてなかったんですよ。 村の色々な事の進め方なんかにはね。で、うちの親父とか がやってたんですけど・・・


佐藤:その世代の方達が取り仕切ってたと・・


だから、直接カールさんが竹所に来て、どうのこうのの話し合いの中には、入れてもらえなかったんですよ。ただ、年上の人から「今回カール・ベンクスっていう人が来るんだよ」なんて言う話を聞きましたね。


佐藤:その頃ご自身はおいくつくらいだったんですか。


そうだね25年前だしね・・40代ぐらいかな。


佐藤:じゃあその時の60、70代ぐらいの方が、ちょっと上の方で色々やって・・・


今の俺と同じぐらいの世代の人たちがね。その時の区長さん方がさ、「今回、ドイツからこういう人が来るから、みんな仲良くしてやってやってくれや。」なんて言われて・・・我々もほら、ほとんどここで農業やってるわけじゃないから、違うところで仕事してたもんで、夜帰ってくることは帰ってきたけど、ただのその接点で言えば・・・もちろん村の人の紹介もあったと思うけど、それからの道普請(共有道路のなどの草刈り作業)とか、あと諸々村のイベントみたいなところに、そこへ行くと必ずカールさんがいるんで、それからまあ・・・でもさ、その頃はね、何やってる人だろねっていう・・・・


佐藤:そうですよね・・・謎ですよね。


ずっと謎でしたよ。6年ぐらいよくわかりませんでした。


佐藤:何の人だと思ってました?その6年間は。


もちろん変わってる人だよね。で、ここに来た時からさ、もう日本語がペラペラだったんですよね。だからイベントの時なんか、話してさ、お酒注ぎに行ってさ、なんかちょこっと話すんだけども、もうペラペラだからさ。「いやーここは最高ですね。」とか言って(笑)。 その頃我々なんて、最低の集落だと思ってたのにさ、会うたびに「いやー最高だ。最高だ。」って(笑)。 来る人来る人にみんなにね、「こんないいとこありませんよ。」って紹介するしさ、こっちはそばで聞いて、「何言ってるんだ?」みたいな(笑)。でもほら、ずっと本当にそのイベント事とか、村の行事には必ず・・・必ずいるからね。もちろん「村の人にさせてくれ」っていう話だったんで・・・


佐藤:「村の人にさせてくれ」って言うのは、その・・・


つまり「竹所」の人間になりたいっていう・・・それはもう初めから言ってました。まあ、現に今そうなってますけども。


佐藤:で、その6年目ごろには何があったんですか?きっかけと言うか・・・・


きっかけは・・・いや、だからイベントとか必ずいるから・・で、別に問題も起こさないし(笑) 、付き合ってみると話もいいし、奥さんは日本語はそこまで得意じゃないけど、でもイベントの時は必ず一緒に来てるし、この人はこれだけ竹所を褒めてくれてるんだし、それがだんだんと打ち解けて言ってね・・・


佐藤:カールさんが来て5、6年目って言うと、彼が建てた竹所の家の数っていうのは・・・


このイエローハウスができて・・・もう2~3件。順番に作っていきましたからね。


佐藤:じゃあもう何件かは建ってたと。


そうだね。カール・ベンクスさんの気持ちみたいなのがわかるようになったのが、3件目辺り作ってる頃かなぁ・・・あぁ、この人は本気なんだなと思ってさ・・・


佐藤:本当に竹所ででやるぞって言う・・


ここで・・ここに住みたいっていう気持ちなんだなぁと思って・・・本当の最初の、ごく最初の頃は、一冬越せば逃げてくんじゃないかって思ったけどね(笑)。


佐藤:そうですよね。冬越すのは大変そうですね。そうか、そういうところの信頼もちゃんと・・・行事ごとに顔を出すところや、冬も越して・・・


だからそれはもう大したもんですね。今でもそうですけど、村のことはもう一番に置いてますんでね。だから、それはもちろん村の人が仲良くする素だと思いますよ。


佐藤:村の方達と、その辺の関係ってだんだん変わっていったと思うんですけど、そういう変化は徐々にって感じなんですか、それとも何かきっかけがあってガラっ!て変わったんですかね?


ガラっ!じゃないんですね、徐々に徐々に・・・最初はみんなほら何人かね、特に私なんてそんなに近くで 付き合わなかったもんで、カールさんと家が近かったりすると、すごく仲の良い人がいたんでね。その人達はもう俺よりもっとずっと早く、カールさんの気持ちをわかっていたんだと思うんだけど・・・私はちょっと離れてたもので、割と時間がかかったけど、でもその近くにいた人は、本当にいい付き合いしてたんじゃないかな。 もう常に村の人と同じように付き合いをしてたからね。


佐藤:で、カールさんの他の家もどんどん建ってきて・・・


そうそう。どんどん増えていって・・・で、そのうちにここにまた違う人が入ったりとかして・・・


佐藤:そうですよね。外から人が移住して住むようにになるっていう・・・


で、最初はねそんなに日本の人も認識があんまりなかったと思うんですけどどね、だんだんとこつこつ家をやってるうちに、なんか遠くから見に来る人とかさ、いっぱいあったんで・・・で、一番最初に事務所を作ったんだけど、東京の今のオーナーがほしいって言うんで、それでカールさんの家の近くにまた事務所作って・・・で、もうひとつ牛小屋の近くにあった赤い家もそうなんですけど、あれも事務所なんですよ。で、そこを転々として・・で、最後にはみんな人が入っちゃったから今は松代に行っちゃいましたけど・・・


佐藤:家を建てれば、人がどんどん住んで・・・・


そうですね。建てて1年か2年、事務所に使ってみたり・・・


佐藤:なるほど、最初はカールさんご自身でお使いになってて、で、何年かすると「ここいいな~」っていう人が現れて、で、その人が買っちゃったりしていってっていう流れなんですね・・・


カールさんの気持ちとしては、建てたらもう事務所として使ってるんで、もう誰も買わんかったら、ここでずっと事務所しててもいいって言うし、だからあそこに一軒だけ緑の家があったでしょう。あれは十日町の市に依頼されて、元はそんなに古民家じゃないんだけど、集落の昔のちょっと古い家を古民家風にシェアハウスに直してもらったんで、あれだけは頼まれて作ったもので、あとは全部自分の趣味で作ってるんですよあと7軒は。で、作っておいて、まあ事務所に使ったり、ただ眺めていっただけだったり(笑)・・


佐藤:そうなんですね。いや、どういう気持ちで家を建て続けていったんだろうなっていうのが、知っていくうちに気になって、カールさんのそこの感覚というか、距離感みたいなものが大事なのかなって思ってたんですけど、今「趣味」って聞いてすごく納得できますね。


そう。竹所の家は全て・・さっきの1軒は違いますけども、市の人がほら・・その時私ちょうど村の代表してたもんで、カールさんの気持ちが分かったんで、で、そういうシェアハウスの話が来て、だったらこういう風にしなきゃだめだよっていう話を市の方にして、で、カールさんが全面的にデザインの方に入って、で、大工さんに指示して・・・カールさんの思い通りにしなければやりませんよっていう話で、それでも市の人はOKだって言うので、カールさんに好きにやらせたんですよ。だからあそこはそんなに古民家っていう感じの家じゃなかったんだけど、古民家風にしたんですよ。あれが唯一依頼して作ったみたいな・・・でもあの思いは100%入ってるんで(笑)


佐藤:ある取り組みをやっていて、何かしらの「効果」・・ここでいうと、人が移住してきたりっていうのが見えてくると、実際のその「効果」目当てでやらなきゃってなってしまう事があって、で、そうなってくると、ちょっと取り組む事自体が楽しくなくなっちゃうようなところもあるので、そのバランスの取り方っていうところが、大切だな~って僕自身も考える事があるんですけど、「趣味」っていう言葉で、今すごく納得できたなっていう感じがしたんです。


だから、途中我々も気がつかないぐらいだったんだけど、考えてみたら人口増えてるんですよね(笑)。だからこれはもう大変なことなんで・・・あのもちろん十日町市の市長もびっくりして、今この十日町管内でも人口が増えてる集落なんて他にないんでね(笑)。


佐藤:いろいろ竹所の資料を見させてもらった時に、やっぱりその地域活性とか、少子化問題とかでそう言う目線での、ここは一定の「成果」があるじゃないですか。で、普通はみんなそこに目がいくじゃないですか。でも、その「成果」みたいなものって、それをやろうって頑張っても・・なかなか難しい・・・むしろ「成果」を意識してしまう事こその難しさがあったりして、この集落はどうやってそれを実現できたんだろうなって思ってたんですけど、やっぱりその「趣味」っていう言葉でしか今は言えないですけど・・・地域の課題解決っていう「成果」へ向かう気持ちも・・たぶんなんとなくはあるけれど、そこへまっすぐ向かって目指して行くんじゃなくて、なんかこうちょっと違うところの方向へ向かうバランスというか・・・・


そうそうそう。ただ、気が付いてみたら人口増えてたっていう(笑)。


佐藤:その感覚が、すごくバランスが良かったんですかね。


そうです。だから、カールさんはこだわって自分で趣味で作ってるんで、誰も使わなかったら、別に売れなくてもいいんですよ。ここの隣の家なんて、何年か水道も繋がってなかったし、電気も繋がってなかった。ただ、家の中の掃除は全部したんだけど、誰が住むか分からんから・・・で、1年ぐらいほったらかしてたかな。で、そのうちに欲しいっていう人が出てきて、それで契約して、じゃあそれで浄化槽もつかなきゃいけないし、じゃあ水道も繋げるかって、電気もそこでつけて(笑)。それで「はいどうぞ。」みたいな ・・・


佐藤:そこらへんのバランス感、が大きなポイントな気がしますね。


それがね本当にカールさんの・・・その「趣味」って言ってもいいのか分からんのだけど、本当に趣味で自分の好きでやってるんですよ。だからこのカフェが2番目の家なんで、すごく思い入れがあると思うんです。本当にほとんど自分でやったからね。まぁ、今でもそうですけど・・・


***


佐藤:この集落は、限界集落を脱したっていうのをどこかで読んだんですけども・・・


まぁ、「限界集落」っていう基準みたいのがよく分からないんだけど、うちはもう今・・平均年齢がいくつになったんだっけね・・・かなりいい線いってるんじゃないかな・・?


佐藤:下がってきたってことですよね。僕も今回インタビューしてて、いろんな地域で大変そうだなって思うのが、こう世代を超えて、どうバトンを渡していくのかっていうところで。今の一番上の世代・・60、70の方達から、その下の世代へ、地域の営みの引き継ぎみたいなタイミングが、いろんな場所で来ていると思うんですけど、そこの受け渡しがいろいろ大変そうだなぁって感じるんですが・・・


それもだから・・本当はここもいないんですよね。後継者は。でも、ここはいないけど、今移住した人が皆さんもう5年、6年経っていますんで、もう歳が40前の人だし、これもう、このままの流れでいいんじゃないかって(笑)・・今来てる若者たちに・・もう若者って言っても、40歳とかになったんだけど、彼らも来て5年6年・・・長い人はもう8年くらいで、もう村の行政の班長さんとかをやってもらって・・・まあ区長さんはまだやってもらってないんだけど・・・村の役員ですね、重役はしてもらってます。・・ってことはもう・・だからいい感じになってきてる。


佐藤:それこそ、あと何年かすると、そういう人の中から区長さんが誕生するという可能性も・・


いや来年もうなるかもしれません。


佐藤:来年!本当ですか。それはすごい。


今うちら元々の村の人3人ぐらいで、区長さんだけは回してるんだけど、それも限界・・ではないんだけど、まだやれるんだけど、もう来た人にも班長をしてもらってるんで、来年にも、すぐにでも・・


佐藤:いいですね。


その点はほら、俺らも同じような年が3人いるんで、もう安心してるんですよ。もう来年あたり任せてもいいねっていう話をして。だから、さっきおっしゃった心配はね、もう解消されたみたいですね。


佐藤:すごいですよね。その外から来た人が区長さんなるって本当に・・・


30前半でここに来たんだけど、今ねだからもう40ぐらいに近くになってるんで、だからもう心配いらないと思うんで ・・・


***


佐藤:ちょっと話題を変えると言うか・・・僕も、今回このフリーペーパーをやろうと思ったのが、自分も芸術祭がきっかけで越後妻有に関わり始めて、今年で10年目なんですが、この松代の奥の集落で、ずっとお祭りのような行いを毎年夏に来てやっているんです。それは、芸術祭の作品としても出品した年もあったんですが、今年はちょっと芸術祭と距離を置いてみるというか、もう少し今までとは違う関係があり得るのかな?ということを思って、リサーチも含めて、インタビューをしてフリーペーパーを作ってみることにしたんです。で、その中で今回Cさんに出会って、お話を伺いたいなと思ったのは、この竹所も、カールさんの持ち込んだ価値観というか、新しい文化が入って来て、集落の状況が徐々に変化していったというのは、芸術祭が起こしている地域の変化の構造と共通するようにも見えて・・・でもまたここは芸術祭とは全く別軸なのがとても面白くて・・・そこのところを聞きたいなと思ったのが始まりなんです。竹所は芸術祭とは別軸であるんだけど、でも、そうは言っても3年に1度の大きな動きじゃないですか。そことの距離の取り方というか、関係ってどんな感じなんでしょうか・・?今回、この集落に芸術祭の作品があるわけじゃないですよね。


ないですね。それはね、前から話があったんですよね。芸術祭が始まった最初の頃も、もちろん第一番に・・本当は各集落で、なるべく1つずつ作品を持ってくださいって言う・・


佐藤:それはやっぱり松代から・・十日町からやってくださいねって・・・


そうです。よろしく協力お願いしますって。で、周り人はみんなやったわけですけども。その頃、私たちもちょっと村の行政に関しては、意見が言える立場になってて、で、みんなで話し合いした結果、その時はまだね、そんなに移住者も多くないんで・・まぁカールさんはじめ、その上の人とか・・・そんなになかったですね。2~3人しか。それで話したら、じゃあうちはでも・・カールさんのが5軒も6軒もあるんだから、うちはいらないっていう結論を出して。まあそれは今も通用してるんだけど・・・だから、一番最初の大地の芸術祭の時は・・その後も何回も話は出たんだけども・・もちろん出ましたよ。芸術祭の度に。


佐藤:それはそうでしょうね。


「いや~竹所さん頼みますよ。」なんか言ってさ、「だから、うちはいいって。」っていう話でさ(笑)。で、今はもう・・まあちょこっとはの総会の時に話は出しますけどね。「また話来てますけど、どうしますか?」って。そうすると「あぁ、うちはいいんじゃない?。」なんてさ・・「じゃあそうしますよ。」っていう話で・・でも、最近は・・今年は誰も、もう声もかからなくなりましたけどね(笑)。


佐藤: 「あそこはもういいから。」みたいな(笑)。


「もういいやって。」(笑)「どうせ言っても断れるから、竹所はいいよ。」っていう感じでね。またね、隣の集落でとか・・・・


佐藤:じゃあ、やっぱりここはここで独立した形で今やっていて・・・じゃあ逆に、この地点から、芸術祭の動きとか、来るお客さんとか見てて、何かこんな感じなのかなって思うこととかってあったりするんですかね?ある意味ここは、その・・・芸術祭が目指してるような地点にも、到達してるような感じもしますけど・・・


それはまあちょっとわからないけれども(笑)・・。まぁ、さっき言ったように、気がついたら人口が増えてたって言うな感じだからさ・・・本当に和気藹々と・・何を目指したわけではないんだけどね。で、まぁ我々も今頃になってやっと気がついたみたいな・・まあカールさんこうやって8軒も家作ったんだから、じゃあ我々も村で何かやるかなあなんていう話になって、それがあそこの牛小屋の外壁なんですよね(集落の入り口にある牛小屋の景観がよくなかったので、集落で外壁部分をカールさんの建築風に改修した)。あれは我々がやったんですよ。竹所の人が。もちろんカールさんのアイデアを入れてね。で、周りの集落からみんな、「竹所古民家村」なんてあだ名つけられてさ。で、「あぁ。そう言われてみれば、そうだね。」ぐらいにこっちとしては(笑)。でも、まあそんな感じだからさ。まあ村の人も今は増えたんだしさ、なんかぼーっとしてるのも・・何もしないでね。カールさんにこうやって、よっかかって頼ってるのも、うまくねえかなと思ってさ。で、話しを提案して・・でも最初は牛小屋の持ち主にどうだって話をしたら、「俺はやる気ない。」って言って言うからさ。やる気ってその・・要するに資金がないって言う・・でも見るからにみすぼらしくて(笑)・・


佐藤:まあ集落の玄関にあるのにっていうところですよね・・


で、一番大きい家なんで、もう本当にひどかったんですよ。当初。で、我々がまぁ・・それについて村の人はそのどうのこうのってあんまり言わないんだけど、やっぱり移住者の方が・・「いや~・・あの牛小屋何とかしてくれや。」って。で、あの不思議なもんでね。我々は昔からここにいるんだよね。で、そういう人達が「お前んちの牛小屋、何とかしねえかい。」なんて言うとね、やっぱり角が立っちゃうんですよ。「俺の家だ、余計な事言うな。」ってことになっちゃうんですよ。でもね、これがの都会の若い30代の人がさ、「あの~お宅の牛小屋、何かトタンがベコベコしてカッコ悪いね。」なんて「何とかならんかね。」とかああいう人が言うとね、やっぱり角が立たないんだよね。本人もさ、「う~ん・・でもさ、俺はちょっと直す自信もないし・・元手もないんだ。」っていう話になって、それで何年かそんなのが続いて・・今度は俺が提案して、「みなさん、もしこれだったらどうですか?やりませんか?」って話ししたらさ、「じゃあちょっと工面してやるか。」っていう・・でもまあちょっとは結局補助ももらったんだけど・・・村で団結してやるって事に決めたんですよ。で、持ち主には一切負担かけないということになって・・逆に持ち主にこっちから「やらしてください。」って(笑)。村の人がさ「頼むから壁変えさせてくれ。」って・・・それがね、本当にあの映画のセットみたいな感じですよね。だから金もそんなにかからなかったんですよ。ほんとの話。


佐藤:外の見えるところだけを直したっていう事ですよね。


だから、裏に行っちゃうと大変なことになっちゃうんだけど(笑)。 それでね。あれがまぁ村の人の一致でもって・・カールさんの足元にも及ばんけどね。でも、村の人もそうやってやるかっていう話して・・


佐藤:その外から来た人が、ちゃんと役割を果たしていると言うか・・おっしゃってたように、外からの人から言わないとまずいと言うか、うまくいかないところが・・・


そう。あれ不思議なものでね。そういうの何回もあったんですよ。今集落は緑に覆われてますけどもね。以前はいたるところに、トラクターの残骸とかさ、トラクターのタイヤの交換したやつとか、いっぱいあったんですよ。どこでもあったんですよ。村中。昔は38軒あったんで、耕運機とかさ、タイヤの交換したやつとか・・・それが今なくなったのも、やっぱし我々じゃないんですよ。我々が言うと、やっぱり・・・なんて言うかね、角が立つ。


佐藤:まぁそうですよね。お互い言われるところがあったりしますもんね。


そうそう。それで、東京から来たりさ、千葉から来た人がさ、「あの~・・トラクターのタイヤ、なんかカッコ悪いんだけども・・どうします?」っていう話になって、ブルーシートの切れ端とかさ、畑に使うマルチとか、風に吹かれてこんななってさ(笑)。 あれね本当に10年までかからなかったけど、7~8年かけて一掃しましたからね。


佐藤:外から来た人にも、ちゃんとここでの発言権があるというか、集落の人も、外から来た人の意見を聞くっていうのは、結構すごいことだとも思いますけどね・・


だからカールさんも昔からね、村のイベント、それから村の草刈りとか積極的に出てたからね。だからカールさんも、自分の作った家に来る人だから、カールさん自身もその人たちにすごくうるさいんですよ。


佐藤:そうなんですね。


我々も、もちろん言います。みんなそうですけども、「カールさんのこの家欲しいです。竹所の人にして下さい。」って言われて、「はいどうぞ。」じゃないんですよ。カールさんがずっと見てて・・・


だから本当に我々はね、そうやって言われないと気付かないっていうか・・もちろん本当にひどかったんですよ。もうどこもかしこも・・みんなトラクターの・・下手したら車もありましたけどね。車はこんなお尻だけ見てるとかで、夏になると若干見えなくなるみたいな(笑)


佐藤:(笑)草が生えて来て・・・


でも、春になるとまた出てくるみたいな(笑)。そういうのを皆で持って行きましたからね。1回なくしちゃうとね、もちろんそこに置いとくとかっていうことも、しなくなりますしね。村中でそれを10年近くやったもんだから、今はちょっとブルーシートのこんなのでもあればさ、「おいあれどうしたんだ。」とか言って、「今度持って行くぞー。」とか、「じゃあ次の時、一緒にやろう。」とか言って・・・そういう話合いもできるようになったしね・・これはやっぱりその・・カールさんはじめ、我々が言わない・・言われなかった問題が、解決していったというか・・だから今そんなのは、ここだけだと思いますよ。


佐藤:それはやっぱり、村が最小単位までなった時に・・8軒でしたっけ、一番小さくなった時は・・・


そうだね。カールさんが来た頃は、8軒か、9軒だったね。


佐藤:そこからまた拡大していった強みというか・・小さい方が、何かを変えたり、全体の意見を共有する事も、大所帯よりは楽なところがあったりする部分もあるんじゃないですかね・・・全員の顔がいっぺんに見えるみたいな・・


だから今もそうですけども、総会やれば、一応13人集まるわけですよ。1人駄目って言えば、話がなかなか進まないですよね。だから牛小屋の時も、まあちょっと反対する人もいたんで、若干。だからそこを何回もこうやって話し合い・・要するに100%になるように・・最後にはその人たちも、まぁ賛成とは言わんけどさ、「だったらまあ・・いいんじゃないの。」ぐらいで終わっちゃったからね。まあ村としては一応100%賛成ってことで、やりましたけどね。だからやっぱり結局・・一応そうやって決めても、7割、8割っていう方が賛成してくれるんだったら、やっぱり進めようと思ってさ。で、あとはね、その反対してる人を納得させるみたいな材料集めてきて、「実はこういうとこから50万もらえるから。」「いや、こういうところからまた50万もらえるから。」「後、だから村の人は、これだけ出せばいい。」とかさ、「これぐらい、いいでしょう?」っていう話で・・・じゃあ「う~ん。しょうがねえなあ。」って言ってさ・・で、そんな感じで解決してもらって・・だからやっぱり話し合いして、ダメなものは言ったってダメだからさ・・で、牛小屋をまた作るんだって言ったって、竹所の村としてっていうことだと問題があるかなぁと思って・・で、「竹所夢プラン」っていう、また違う組織を作ったんですよ。


佐藤:なるほど。


違う組織って言ったって、ほとんど中身は一緒なんですけどね(笑)。村の人なんで。


佐藤:集落で一緒にって言うと、またいろいろあるから、やりたい人だけ集まるように・・


それを作って、私今代表もしてるんだけどさ・・まあ最初からずっとやってんだけど、それを始めたんで、それでもう今・・本当に夢ですよね。「夢プラン」の夢は本当に、今その辺にある昔からの民家を、やっぱり牛小屋みたいに直していこうっていう、夢なんですよね。


佐藤:景観を統一しようって言う・・


もちろん。周りの集落の人が、「竹所古民家村」なんて、あだ名つけてくれたんだから、それを思いっきり利用しないとっていう(笑)・・・


佐藤:あ、そういう周りからの呼び声が(笑)・・・


我々は考えたことがないんですよ。「竹所古民家村」なんてね、これは誰かがつけたものであって、我々は(笑)「あ、そう言われてみれば、そうだな。」っていう感じでさ・・だったらそれに・・そうしようじゃないかって言って・・・


佐藤:そこの目標設定も、さっきのお話とつながってくる気がしますね。もとから自分達の目的をしっかり持ってまっすぐ行く感じじゃなくて、他の人のイメージがあるところに、気が付いたら近づいて行ってという・・


そうなってたねって言うね(笑)だったら、もうちょっとやれば、100%になるねっていう感じでさ。だから、本当にこの夢は夢なんですよ。まあ、全部なんてできっこないんだけどさ、なるべくやろうと思ってるんだけど・・で、前回は 牛小屋で、今年は次の家が決まったんだけど・・・


佐藤:そこの目標への向かい方の・・このバランス感覚と言うか、そこらへんがすごい肝なんだろうなっていうのは、今日何か聞いててすごく・・・


あのやっぱり、竹所の区長さんがいてね、私も区長したことあるんですけどね、本当は区長さんがこれも仕切っていてやって行けばいいんだけど、やっぱりある程度2年とか経っちゃうと、一応交代しなくてもいいんだけど、「俺はもう来年はダメだな。」っていう人もいるからね、そういう人が親方になっちゃうと、また同じ作業になっちゃうから・・だから「夢プラン」っていうのを独自に、別に作って、そこの代表を決めていけば、その代表ずっと(笑)・・まあいずれ変わることもあるだろうけど・・


佐藤:村の行政の長とは、また別軸でってことですよね。


それは今、俺がやってんですよ。だからまあ本当に夢ですけどね。去年はその牛小屋やったし、だから次はまたもし、誰も手をあげなかったら、今度は集落センター・・あれをやろうかなと思っているんですよ。だから問題は金だよね(笑)。ある程度村の人には負担かけないようにして・・村の今ここにいる人は、労力で返してもらおうと思って。あとは、ここ昔38軒あって、今5軒なんですよ。で、外に行った人がいっぱいいるからそこに電話したり、外からちょっともらってきたり(笑)。 村の寄付でもらってさ。


佐藤:ある意味OB、OGじゃないけど・・・


そうそうそう。それは大いに使って利用させてもらってます。あと、カールさんは「じゃあ、私は労力ももちろん出すけど、材料だしましょう。」って・・・牛小屋もだいぶ出してもらって。


佐藤:本当に絶妙なバランスで、そこが回ってるのが・・


ちょっとね、まとめるのも大変だけどさ、まあ、だからその13人いて、総会に来て・・10人くらいしか集まらないんだけどね。10人か11人で話だけは伝えるんだけどね。「今回は、こういうことになりました。」って言う・・・だから、もしダメって言ったら・・まあその「ダメ」を「う~ん。しょうがねえなあ。」ってところに持って行こうと思ってさ、そのためにはなんかいろいろなことを・・その人が「しょうがねえな。」っていうところまで、持っていかんとと思って、みんな努力してるんですよ。だから、うちも気が付いてみたら、こんな感じになったんでね・・別に何しようって思ってやってたわけじゃないんだよね。


佐藤:どこかで、「夢プラン」の「夢」じゃないですけど、その「行くべき未来」みたいなのが、たぶんぼんやりあって・・でもまだはっきり見えてなくて・・でも目の前にある牛小屋の修繕みたいなことをやってると、気がついたらそこにいたっていう・・・その繰り返しでこう転がって行ったのかなっていうのはすごく・・・


本当に我々も、最近までぼーっとしたんですよ。本当の話(笑)。それで、やっと今頃になって気が付いて、このカフェもね。だからそれもまあ本当に最近になって気がついたもんで・・でも、カールさんはもう昔、25年前から・・・でも彼も村のためと思ってやってるわけじゃないと思うんだけど、でも彼はもう来る人来る人に、「ここは素晴らしい。ここは素晴らしい。」って言ってますからね。我々はそういうことを言ってませんでしたからね。「こんな変なところに・・・」なんていう話で(笑)。 だから、うちのポイントはやっぱり、カール・ベンクスだからね。彼がもう、自分の友達には「ここは世界で一番。」なんて言ってますんでね。我々は最初の頃はそう思ってなかったんで・・でも、今はもう村中みんなそう思ってますよ。景色にしろ、何にしろ・・


カール・ベンクスさんについて詳しくは→http://www.k-bengs.com


 

2018年7月8日 カフェイエローハウスにて

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