【WORD】「うぶすな」のかあちゃん

最終更新: 2018年7月9日

芸術祭をめぐる言葉5



佐藤:ご自身と芸術祭とのファーストコンタクトは何になるんですか?


最初はやっぱり、「うぶすなの家」・・2004年に中越地震で、2005年の3月12日にこれからのこの集落を、東下組(ひがしもぐみ、下条の山あいにある6つの集落を持つ地域)をどうしようっていうことで、集落のみなさんと行政の人とが会議をするということで、本当に子供からお年寄りまで200人以上集まって、どうなるんだろうっていうことで行ったら、大地の芸術祭の課長さんが来られて、芸術祭で「うぶすなの家」を借りることができたので、ここに作品を置いて、「みしゃぐち」も作るし、下条の水辺公園の「バタフライパビリオン」もできたりして、下条が一番震源地に近い地域だから、中越地震の復興ということで、力をそこに注ぎます!というところで始まったのが一番の入り口だったですね。「じゃあ、やらなきゃ!」と思いました。


佐藤:それで予算もついて、みんなのやる気と言うか・・どうだったんですか?その頃の雰

囲気は、地域にはまだあまり浸透してないですよね。


してない。してない。2006年(第3回開催年)は、まだ終わってからかな、でもその時、2005年、2006年はやっぱり地震の復興という思いがいっぱいだったから、地域の人がかなり気持ちをいっぱい入れて、で、さらに、私がやろうと思ったのは、外の人が地元に来る、ここに何が出来るんだろうというと、レストランらしいということで、じゃあ地元の食材を買ってもらいたいし、かあちゃん達が仕事入ったら、バイト代も欲しいと思って・・それがちょびっとでも、いっぱいでも、なんでもいいやんだけど、そうなったらいいなぁと思ったんです。で、大地の芸術祭に関わる人たち見てると、やってる人はやってる人だけど、やってない人、関わってない人は「何だ!」みたいな・・「もっと企業を持って来いよ!」みたいな感じだったんですけど、でも、実際は50日間は本当に、お弁当もなかったり、お土産も買いたいけど、お客さんは買えない状態なんだっていうのが、ちょっと見えていたので、じゃあ、お客さんが地元に来るから、どうしたらその地元の物を買ってもらえるのかっていうところで、で「うぶすな」をとにかく、大勢のかあちゃん達から手伝ってもらうのに、入ってもらおうということで、独身の人から、ばあちゃんたちまで、全部で東下組だけで60人の女の人が、最低2時間。いっぱいな人は・・私なんかきっと50日くらい(笑)。毎日行ってたっていう形で・・


そんな感じで、50日やっていくうちに、出勤する人は、もう集落割で、この集落はこの曜日とこの曜日と・みたいなね、女の人も、各集落から1人じゃダメで、 やっぱり連れ立ってないとやっぱりね、だから2人とか3人とかで、その集落で出れる人で・・その前は、婦人会組織があったんですが、もうなくなっていて・・やっぱりそのそういうのが無いと、集落全体に知れ渡らないので、その当時の嘱託員(集落の代表として、外部との連絡などを担う役割)のお母さんたちから、役員になってもらって・・で、「役員」になるとみんな嫌がるから、「連絡員」っていうことでいいからという形で(笑)・・


佐藤:なるほど。うまいですね。


12~13人の女の人で、ごちゃごちゃやってて・・・最初、やっぱり復興という意味合いでずっと頑張って、後半はやっぱり「うぶすな」に残れる人と、やっぱりなかなか苦手な人で去っていく人といて、最終的に7~8人が残って、切り盛りしながらなんとか間に合ったっていうところなんですけどね。それで、ここでの活動に味をしめた7~8人組で(笑)、そのまま・・次4回目の芸術祭(2009年)も・・その当時の市長が、3回目をやってこんなによくできたから、次もやるぞ!という発信から、芸術祭4回目もあるんだっていうことで、・・・その当時は、芸術祭をもうやめるって言ったら、自分たちもやめればいいので、手伝えるだけ手伝うっていうことだったんですけど、それがずっと続くっていう形で・・・去年今年は、ちょっと営業の形を変えて、今までみたいに毎週末に「うぶすなの家」を開けて、人が来るか来ないか待つよりも、予約があったら開けようという形でしてくれたので、ちょっとほっとして(笑)ます。


佐藤:少し負担が減って・・・


そうそう。でも、私も除け者にしないで、仲間に入れてて~みたいな感じで、一緒にさせてもらいながら、で、地元ガイドのAさん(地元かあちゃんツアーガイド)が、結構いっぱいお料理の方とか、鍵も持ってもらって・・Aさんは、ガイドができるって言うので、「うぶすな」だけじゃなくて、いろんなつながりのことができて、で、私はやっぱり「うぶすな」中心で、ちょっとだけ知ってて、十日町の他の所もAさんに聞かないと全然わかんないし・・で、私は東下組のお母さん達と、あと下条の母ちゃんたちと、つながりを持ちながら、「うぶすな」で、やっていくっていう形がいいんだろうな~っていう風に思っていたので、そのような形で、後は地元のばあちゃん達にも、「うぶすな」でどんなことをしてるかって言うのが、本当は口で言うのが一番いいんだけど、なかなか言えないので、文章で書いたり、たまに来てもらったり・・・で、もう驚いたのが、すぐ隣の集落のばあちゃんとかに、「この集落に初めて来た」って言われた事で、「えっ、この歳で、この集落に初めて来たのか~」とか思って、それまでやっぱり、男は出歩いてね、飲んだり食ったりして、人の家に世話になったりして、特にこの集落は山の奥だから、ここの集落の人は、他の集落でお世話になるけど、他の集落の人がここに来て飲むなんてことはあんまりなかったみたいで、親戚とかがいない限りは、この集落に来ることがないので、だから、それには私はびっくりした。


あと、来たお客さん達が、「あぁ~癒しだね~。」とか、「美味しい!」とか言ってくれる言葉。 うちの父ちゃんや、爺ちゃんや、子供達は、私らの料理をそんなに美味しいとかなんとか言わないけど(笑)。美味しくて当たり前と思ってるけど、お客さんは、こう・・なんだろう、そういう私たちの嬉しい気持ちを呼び起こしてくれてて、それで、よし頑張ろう!みたいな。あと特に、地元の山菜とか野菜を、美味しい、美味しいって食べてくれるから、また取りに行く楽しみと、保存しておく方法とか・・夏野菜も種蒔いたとか、そういうのも、やっぱり大地の芸術祭があるから、ちょっと頑張って余計に作ってみようかなとか、そんな形でそういう野菜とかが本当に50円、100円、200円みたいな形だけど、「うぶすな」は買ってもらえる場所になったので。


曲がったキュウリやトマトが、美味しいって言ってくれて、「あぁ、やっぱり美味しいやんだなぁ。」と(笑)、「どういうのを食べてるんだろう?」とか思いながら(笑)。やっぱり、朝もぎたてのと、何日か経ったのじゃ、全然違うんだろうなっていうのが、私たちの中にも分かったっていうことで。で、その中に一番忘れちゃいけないのは、中越地震の復興で、新潟県に復興でいっぱい募金してくださったその人たちに、お礼をするには、私たちが笑顔で「ようこそいらっしゃいました」って。笑顔は無料だから、頑張って笑顔でっていうところと、あと、最初の年(2006年)が終わった後には、やってるうちに、次の自分の子供達に、東下組ってこんなにいいところで、楽しいところだっていうのを、残したいし、伝えたいし、これから子供達が家から仕事にどっか通うようになっても、東下組を盛り上げてもらいたいし、家も継いでもらいたいし、農業も継いでもらいたいし、みたいな・・そういうところにつなげている。って言うのが実体かな。


佐藤:今はじゃあ、「うぶすな」は、7~8人ぐらいの、やりたいっていう方がいて、回しているみたいな・・・


それで、私も10年以上やっていて、そうすると最初の仲間も年を取って、自分の体調が悪くなる、自分の家の年寄りが具合が悪くなって元気だけども来れない、孫ができたからお守りをしなきゃいけないから来れない、っていうのがやっぱりあって、どうなるんだろうと思って・・でも、また他のところに声をかけたら、その時にJA女性部のお母ちゃん達に、下条のチームにも話をしたら、来てくれる人がいて、Aさんも来てくれたり、またその知り合いの同級生とかっていう形でちょっとずつ増えて、また今新しい人たちで回っているので・・


佐藤:良いですね。また新しいサイクルが・・・こういった動きの中で、ご自身は、人の間に立っているポジションにいると思うんですが、そう言った難しさとか、何か気を付けていることとかはありますか?


やっぱり一番最初は、伝達かな。下条の振興会長に言い、行政に行き、NPOの担当の人と話をする、で、青年団に話したり、女の人の会の時に・・って言う風に、1人で横を繋げながらやる・・そうしないと、縦には繋がってるけども、横には繋がってないっていうのがあったので・・そういうのをやってたかな・・


佐藤:確かに、誰かが「聞いてない!」って言うのが、あとあと一番大変なことですもんね。


そうそう。だからやろうと思った自分が、みんなに喋って、繋がなきゃいけないかなと思って・・・


佐藤:やっぱり、ハブ的と言うか、いろんなところと繋がっている人がまずいて、そこが連絡とか共有みたいなところがあって・・・反対とか賛成っていう、個人それぞれのスタンスもあるけれど、それより「知らない」「聞いてない」ってことが一番困ることですもんね。


東下組の場合は、中越地震の時の「まんまし」 っていう、ご飯を作ったり伝達の役割をする人が、私ともう1人いるんですけど、女の人の中で「お前さんたち2人が、男の人の会議に行って話を聞いて、うちらに伝えてくれ」って係をもらって、その言われたもう一人は、小学校中学校の一緒にやったPTAのお母ちゃん仲間で、役員をみんなでしたりしながら、男の人の中へ入って話を聞いたり、女の人の伝達を男の人に伝えたりしながらやって・・そんなところがあったので、地震の時、本当に女の人は頑張って、地震の次の日から、ほとんど温かい物が食べられて・・まぁそれは男の人がちゃんと火を焚けるようにしたり、準備したり、みんなが自分たちで持ち寄ったりしたんだけど、女の人も洗い物をしたり、まんまを出したりしたので、ほとんど冷たいものは食べなかった。冷たいおにぎりが来たけども、これをどうやって食べようみたいなとこと、カップラーメンを1回も食べなかったよねって言う所。


佐藤:そこがこう誇りみたいな。


そうそう。そこは後から誇りだったり、「うちらカップラーメン1回も食べなかったんだよ」って言って、あとでみんなでもらったカップラーメンを分けて家で食べたぐらい、女の人で頑張ってまんま当番をして、自衛隊が後から来てくれたけど、まだこの避難生活をやってようと思えば、やってられるぐらいだった。大キャンプで・・・最後まで残ってた女の人達は(笑)、「家に帰るのやだね」「家の片付けはやだねー」とか言いながら(笑)・・「ここ(キャンプ地)がいいよ」とか言いながら・・そんなのを体験しているので、なんかこう・・・ごちゃごちゃっと、大勢ブワァ~っとするっていうのは、何かその時の体験があったから、何とかなったかなって思うところも・・・


佐藤:ある意味、そういうことがあったことで、この集落の潜在能力みたいなものが、見えてくるような状況だったんですかね。


ああ。そうそう。地震があって、この人はこういう人だ。この人はこういう人だ。ってよ~く見えたと思います。


佐藤:良くも悪くも・・


そうそう。良くも悪くも。


佐藤:こういう人だから、こういう役割を振れるということが分かるっていう、利点もありますもんね。


そうそう。それそれ。これを頼めば、この人はしてくれる。この人はこれは苦手っていうのがあったり・・でも、やっぱり、一番女の人を最初に集める時は、2番遣い、3番遣い、4番遣いまでして、集まってもらった・・・


佐藤:その「~番遣い」っていうのは何ですか?


1回目頼みました。1回目じゃダメで、2回目。3回目。4回目って・・・・


佐藤:同じ人に何回も頼みに行く・・・


そうそう。それも無理にじゃなくて、お知らせ、お願い、本当のとこどうだろう・・大丈夫かな・・みたいな。もう1回押そう!みたいな・・・そんな段取りかな。そこが一番大変かもしれない・・でもそのくらいしたおかげで、そこまでしたので、この人はもうこれで言えばもうダメなんだっていうのが、逆に分かったり、この人は何回も頼めば受けてくれる人とか、1回言って絶対受けてくれる人っていうのが、私の中であるので、一応でも誰も「知らない」っていうことの無いように、お伝えはその後はして、もうそれで来ないって言ったらOKで、どうしても来てもらいたい人には、やっぱり2度3度ってお願いに行くっていうスタンスかな。 あとやっぱり女の人なので、和の仲が大事・・でも、付き合って一緒に同じ釜の飯を食べるってことで、またこう新たに、なんかあんな人だと今まで思ってなかったのが、こんなに感じ良かったんだとかっていうのが、あったりしたので、やっぱりこうひとつのものを、一緒にやり遂げたりするっていう感覚ができたのかなーって思って・・うん。


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2018年4月5日 下条地域を巡る車内にて